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はじめに:幸せの大三角をめぐる旅|『宇宙一チャラい仕事論』試し読み①



作家で猟師、『三行で撃つ』著者の近藤康太郎氏は、新聞社という大組織のなかで長年「楽しそうでいいですね」と言われてきた。しかし、決して好きな〈仕事〉ばかりしてきたわけではないという。


〈仕事〉のみならず、〈勉強〉、そして〈遊び〉でさえ、他者に強制される何かとは、本質的におもしろくないものだ。それでも〈仕事〉はおもしろくすることができるのだ、と。


毎日をご機嫌に生きるための3つの要素〈仕事〉〈勉強〉〈遊び〉を強くする方法とは? 新刊『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』より、一部抜粋する。


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はじめに 幸せの大三角をめぐる旅


広漠たる宇宙に、ひときわ輝く三つの星が浮かんでいる。夏の大三角は織姫星のベガ、彦星のアルタイル、デネブ。冬の大三角はシリウス、プロキオン、ベテルギウス。


幸せは、その三角形のうちにある。


その話をしたいと思っているんです。すぐ読めちゃう小さな本で、大きなことを言ってますが。


幸せとは、この大三角から成り立っている。本の結論です。


わたしたちは、なぜ、生きているんでしょうか?

 

こういう質問に即答できる人がいたら、わたしなんか、それはそれで気持ち悪い気がします。


なぜ生きているか? なぜもなにもない。朝、起きちゃったからだよ。起きちゃったから、今日も惰性で生きてるんだ。起きなかったら、死んでるわ。


その程度なんじゃないでしょうか、ふつう。



なぜ懸命に生きるのか?


わたしは、ライターとして四十年近く生きてきました。東京・渋谷生まれで、五十歳になるまで職場も東京とニューヨークだけ。ところが二〇一四年に気がふれて、九州の小さな村落に移住し、百姓や猟師になりました。作家と兼業です。もう十一年目になります。


水田を耕し、米や麦を作っている。けものを追いかけ、奥深い山を走り回る。夏は百姓仕事で手にまめを作り、そのまめがやぶれる。冬は猟師で、顔や手はすり傷・切り傷だらけです。


そうした生活の中で、やっと分かってきたことがある。


自分は、ただ生きるのではだめだ。〈よく、生きる〉のでなければならない。


命を取っているのだから。


鴨や鹿や猪、ジャンボタニシ、あるいは雑草たちの命の分も、懸命に生きる。自分の生を、生ききる。そうでなければ、申し訳がたたない。


他者の命を収奪して生きている。わたしたち人間の命は、他の生命の集積なんだ。〈よく、生きる=懸命に生きる〉のは、だから義務なんだ。世界の、他の生命に対する責務だ。


そう、強く感じるようになったんです。きれいごとじゃない。自分の手を血で汚しているから。肉体で分かるんです。


ところで、懸命に生きるのはいいとして、でもそれはなんのためでしょうか。目標は、なんですか。


幸せになる。


ほかの人は知りません。わたしはそうです。幸せになるために生きてます。人生の目的って、幸せになることですよ。


Kaは、人生が、恋をして幸せになる以外には、互いに関係のない無意味な一連の平凡な出来事であることが今やよくわかった。 ——オルハン・パムク『雪』

ここで注意が必要なのは、「幸せ」とか、「幸福」と言ってしまうと、人はいきなりハードルをあげる傾向にあることです。


人間の欲望は、きりがないものです。とくに、人と比較するのは不治の病。幸せを欲望と取り違えると、人生、えらいめにあいます。不幸への一本道。


だから、「幸せ」という言葉を、少し変えましょう。「ご機嫌」はどうでしょうか。あるいは「ナイス」。


ご機嫌になるため、生きる。ナイスになるため、生きている。


だから、宇宙一チャラい仕事論。のちに書きますが、仕事は幸せに直結する。


チャラいと聞いて思い起こすことはなんでしょう。ふつうは、チャラ男とかいうときのちゃらですよね。


ちゃらちゃら:軽いだけで内実のない


この本で目指すのはもちろんそこではありません。どちらかというと、あちゃらかとか、すちゃらか。「笑いを誘う、馬鹿騒ぎ」と辞書にはあります。


おちゃらかすでもいいかもしれない。「からかう、冗談のようにする」。あるいは、ちゃらっぽこ。「でたらめ、噓」


へっちゃらのちゃらも入っています。「動じない、気にかけない」


冗談のように、でたらめな、やぶれかぶれの幸福。ですが、ふまじめではない。あくまで真剣(ガチ)だし、本気(マジ)。遊びこそ真剣にやるというのが、この仕事論の眼目です。



ささやかに機嫌よく生きていくために


アメリカの作家カート・ヴォネガットがおもしろい話を書いています。


ヴォネガットがまだ子供のころ、大好きだったおじさんがいました。頭のいいおじさんで、「自分がどれだけ幸せか分かっていない人間が多い」というのが、常々、彼が不満に思っていることでした。


そのおじさんと過ごした、ある日の昼下がり。二人で、庭先に出て、とりとめのないおしゃべりをしている。レモネードを飲みながら。かすかな風が吹く。木々の匂いがただよう。


するとおじさんが、突然、叫ぶ。


If this isn’t nice, I don’t know what is. ——Kurt Vonnegut “A Man Without a Country”

「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」


訳者の金原瑞人さんは、そう日本語に移しています。素敵な訳文です。「幸せ」とは「ナイス」のことである。


幸せとか幸福とかを、あまり大げさに考えない方がいい。「幸福とはなにか」なんて考えなくなったときに、初めて立ち現れる種類の、ささやかで淡い感情が、「幸福」なんだと思います。


幸せになるんじゃない。ナイスになる。ご機嫌でいる。


どうしたら、ナイスな感情を保ったまま、一週間を過ごせるか。あるいは、一日を、たった一時間でもいい、このご機嫌を続けていくことができるか。


先にも書いたように、わたしは百姓で猟師で、作家です。ここ十年くらいは、自分の肉体で分かったことしか書かないと決めている。文章は、汗で書く。


百姓も猟師も激しい肉体労働で、早朝から動き始める。米百姓の仕事は朝が早いんです。なにせ最近の酷暑。日が高くなって田んぼにいるのはもはや自殺行為です。猟師も朝が早い。「場所取り命」の仕事で、ほかの猟師に先駆けて、獲物のいる猟場にいなければお話にならない。


でも、作家もそれに劣らず時間のかかる、体を酷使する仕事です。春夏は朝の四時起きで書き始めるし、猟期の秋冬は、午前二時起きです。


それが苦役なのかというとまったくそんなことはなく、だれに頼まれたのでもなく、カネのためでもなく、喜々として、こうして文章を書いている。だから、幸せな人間なんでしょうね。


そんなふうに過ごしてきて、はっきり、手でつかみ取ったことがあるんです。


ナイスな気分でいるために、つまり幸せになるために、死活的に重要な要素がある。三つある。幸せは、その三要素でできあがっている。


それが、夜空に浮かぶ三つの星、幸せの青い大三角です。



今夜はその話をします。



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