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貧しかった自分。バイトから一日で逃げたわけ|『宇宙一チャラい仕事論』試し読み②



作家で猟師、『三行で撃つ』著者の近藤康太郎氏は、新聞社という大組織のなかで長年「楽しそうでいいですね」と言われてきた。しかし、決して好きな〈仕事〉ばかりしてきたわけではないという。


〈仕事〉のみならず、〈勉強〉、そして〈遊び〉でさえ、他者に強制される何かとは、本質的におもしろくないものだ。それでも〈仕事〉はおもしろくすることができるのだ、と。


毎日をご機嫌に生きるための3つの要素〈仕事〉〈勉強〉〈遊び〉を強くする方法とは? 新刊『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』より、一部抜粋する。


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お茶売り


実家が貧しく、学費を払うために、高校生のころからアルバイトをしていた。ビル掃除に土方にベッドメイクと、いろいろやった。大学に入ると、友達もいなかったので、家庭教師という「おいしい」仕事があるのを知らず、新宿にある怪しげな会社の「営業補助」というバイトに応募してしまった。


そこは、学生を安く使ってお茶を売り歩かせる会社だった。いまでこそセキュリティーが厳しくなって、考えられないが、新橋あたりで電車を降ろし、雑居ビルに飛び込ませ、お茶を、いわば押し売りさせるのだった。何人かの学生を、後ろで社員が監督している。


これが、つらかった。あたりまえだが、どこの会社でもそんなお茶売りは追い返される。まともに話を聞いてくれるところなんて、ない。「勝手に入ってくるなよ」と怒鳴られることも少なくなかった。半日して、胃に穴があくかと思った。一日やってとてもつとまらず、「申し訳ありませんが自分にはできません」と手紙を書いて、翌早朝、新宿の事務所のドア、下に差し込んで逃げた。そんな手紙、書くこともなかったのに。


いま思えばだが、なによりつらかったのは、自分の売っている「お茶」が、自分では飲んだこともない、うまいとも思わない商品、自分では信じていないモノだったことだろう。


それはともかく、自分には「営業」という仕事ができないと、はっきり分かった。大学四年で突然、新聞社の試験を受けたのも、「記者ならば、営業をしなくていいんじゃないか」と思ったのが、いちばん大きな理由だった。


大間違いだった。新聞記者こそ、営業じゃないか。


警察署に入って知りもしない刑事のごきげんを取り、話を聞こうとする。聞きたい話なんか、ほんとうはないのに。学校を出たばかり、安っぽいスーツさえ似合わぬ若造で、刑事が喜ぶ情報を持っているわけでもない。お茶どころか、自分には「売る」商品が、なにもないのだ。


それでも、あとには引けなかった。せっかくつかんだ仕事を、失うわけにはいかなかった。食えなかったから。養うべき人間がいたから。


毎朝、毎晩、お菓子や焼酎を手土産に、警察署を訪ねた。話の穂を探した。一年経っても、話の穂は、どこにも実を結ばなかった。


川崎署の外勤警察官にサトウさんという人がいた。警察署長を公用車で送り迎えする役目だった。ある朝、サトウさんがわたしに寄ってきた。「人事異動でほかの市へ行く」のだという。


「僕にはなにもネタがないんだけど、もしもあったら、近藤さんに言うよ。近藤さん、いい人だから」


そう言って、背中を向けた。


わたしに「売る」商品があるとしたら、人柄だけ。売るべき〝お茶〞は、自分という人間だった。


いい人になる。おもしろい人になる。自分で信じられる、「自分」になる。



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