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或る本の生まれかた:関野哲也 著『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』



たった一つのツイート(今はポストと言うんでしたっけ)から本が生まれることもある。『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた 哲学、挫折博士を救う』(CCCメディアハウス)が、そう。


主題は「哲学する術を身につけること」そして、もっと大きな命題は「哲学は人を救いうるのか?」を考えること。


著者の関野哲也さんは、フランスのリヨン第三大学で哲学の博士号を取得されたが、その後、双極性障害を患い、一時は死を考えるまで追い詰められ、苦しまれた方。福祉職や工場の仕事を転々とされながら、「生きることがそのまま哲学すること」という考えを追求する市井の哲学者だ。近藤康太郎さんが「エリック・ホッファーのよう」と評したのは、まさに「生きることに結びついた哲学」だからだろう。





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事のはじまりは、2023年1月4日。大阪の実家から東京に戻った日だった。偶然流れてきたツイートに目が留まった。なんなら、ちょっと、息も止まった。



長期休暇が明けての仕事はじめのことを思うと、葉加瀬太郎さんのヴァイオリンが流れる日曜のあの時間帯の15倍くらい憂鬱だったんだけど、このツイートの主は、私のさらに50倍は憂鬱だろう……。


一週間経ってなおこのツイートを忘れていなければ、私は彼に連絡を取らなければならない


なんて、私、「しなければならない」ことなど人生にはほとんどないと思っているクチなので、おかしな話だ。でも、「しなければならない」と言わしめる力、激しい怒りなのか、苦悩なのか、深い絶望なのか、あるいはそれでもまだ世界をあきらめきれない悔いなのか、なんだかよくわからない切実な心が、テクストにはあった。哀切な叫び。


事実、私はその後も彼のツイートを忘れなかったし、どんなことを考えているのか知りたくて、すべて遡って読みもした。いい文章を書く人だ。そう思った。



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2月4日、ツイートの主にメンションした。バズったツイートに「突然、失礼します。◯◯テレビの者ですが」と飛ばすアレみたいで気が乗らなかったから、思い切るまでに一ヶ月もかかった。彼は note に記事を書き溜めていたが、連絡先の記載はなかった。フォロー外からのDMは受け付けない設定になっていたし、個人情報もまったくわからなかった。


しばらく、待った。


リプライはなかった。

打つ手もなかった。


縁がなかったものとすでにあきらめていたのだけれど、わからないもので、3月6日になって、運が味方してくれた。当時、私が担当していた『文學の実効』(アンガス・フレッチャー 著/山田美明 訳、CCCメディアハウス)の告知ツイートに、件のツイート主が反応してくれたのだ。『文學の実効』が、なぜ彼の目に付いたのかは、わからない。でも、DMを送ることができる状況になっていた。急いでDMを送った。


本の中にも一部紹介されているのだけれど、記念に全文を掲載しておく。


関野哲也様 こんにちは、初めまして。CCCメディアハウスという出版社で書籍の編集をしております、田中と申します。 実は年始頃より、関野様にご連絡する手段を模索しておりまして、どうしたものかと思っておりましたので、フォローしてくださりありがとうございます。また『文學の実効』をご予約くださったとのことで、光栄です。ありがとうございます。 さて、私は関野様と同じ1977年生まれ。紆余曲折の末、現在は偶然出版社の社員ですが、なかなか将来が描きづらい20代〜30代前半を送ってきました。社会と自分の関わり方、仕事に対する考え方など、勝手ながら、関野様と同様の問題意識を持っているのではないかと思っております。 関野様のことはツイッターで知りました。万人の日常の延長にあっていいはずの哲学についてや、本が読みたい、勉強したいと思うのに、疲れてしまってままならないことへの葛藤、しかしそんななかでも何か新しい発見を生身の体験から得ようとなさるご様子に共感し、感銘を受けております。 なにかそうした、生身の体験から得る哲学のようなものを一冊にできたら、哲学に興味はあるけれども、遠い存在だと感じでいる人にとっての、素晴らしい水先案内になるのではないか。そんな構想を持っております。(非常にざっくりですが) もし少しでも話を聞いてやってもよいと思われましたらご返信いただけますと、嬉しいです。 連絡差し上げることができて、本当によかったです。コメントくださり、ありがとうございました。日々のツイート、一読者として、引き続き楽しみにしております。 まずは、お礼にかえて。 田中里枝拝


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10月末に無事、発売となった『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』は、果たしてどういう本になったのか?


ぜひ読んで確かめていただきたいのだけれど、つくってみていちばん驚いたのは、この本が決して「絶望の書」にはならなかった、ということだ。


関野さんは「おわりに」(全文公開中)に、はっきりと書いている。


絶望の中、療養のため一人寝ているとき、心も体も動かないながらも、私はふと浮かぶ哲学の問いを考えてみたり、何となく手を伸ばした哲学書をめくったりしてみました。すると、人間や世界について、知らないことが実に多いということに私は改めて気づきます。 人間や世界についての不思議、 つまり神秘が きらきらときらめいて私の目に映りました。 「きれいだな」と思うと同時に、ひとたび不思議だと思うと、人間とはその不思議のなぜを知りたくなるのですね。私は、そうやって考え続けることによって、今まで生きてこられたように思います。 その意味で、 私にとって哲学とは「救い」なのです。 ——関野哲也『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』

哲学は人を救いうるのか?


絶望の淵にあった人が、はっきりと言う——私にとって哲学とは「救い」なのです。これこそが、「哲学は人を救いうる」何よりの証左なのではないか。



2023年、とても心に残っている一冊。試し読みなど公開しましたので、年末年始にぜひ読んでみてください。



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